京都市京北地区を視察

山國神社の裏を流れる桂川

 ティグレフォーラムでは、大阪で開催された全国議員研修会に先立ち、前日の8月25日に地方創生の現場である京都府右京区京北地区の視察を行った。

 この京北地区には東京から会員の國松繁樹さんが移り住み、地域の仲間となり、地域資源を京北ブランドにして都会に発信しようとしている。まさにその取り組みの現場を報告します。

※視察団メンバー
高谷真一朗 三鷹市議会議員
加原修(ティグレ京都)
若林賢治(ティグレフォーラム)

 

 8月25日、京都駅八条東口を出発し京北へと車を走らせた。京都市の北西、太秦・花園を抜け、国道162号線に入るとあとは一本道。若狭湾に通じる旧道の県境の小さな盆地が京都府右京区京北地区である。川沿いを登っていくといよいよ人里離れた山道といった風情から峠道へと急変した。山国と同じ急勾配のS字が続く。清滝川沿いの街道はしばらく山林しかない。

 バイパスを更に北上すると道端で鮎を出す店がぽつんぽつんと出てきた。また、材木屋も見えてくる。街道沿いに集落が点在しているのだが、奥山の人里離れたひなびた集落とは少し雰囲気が違う。集落の一軒一軒が古風ながら手入れの行き届いた威厳あるたたずまいでむしろ新しく感じる。活気というか経済力を感じるような集落である。

 次に大きなトンネルを抜けると更に近代的な建物と整備された駐車場とともに道の駅が現れた。そう、ここが待ち合わせ場所の京都市役所京北出張所・京北商工会なのだ。古い建物を想像していたのでとても驚いた。道路も広く整備され、田舎くささはみじんもない。

 京都市右京区京北地区は「西の鯖街道」と呼ばれ、日本海と京都をつなぐだけではなく、京丹波、南丹市、亀岡市など丹波篠山地方とを結ぶ交通の要所であり歴史のある町である。大阪湾へと流れ込む大河、淀川に合流する桂川はその源流をたどれば嵐山をさかのぼり、亀岡市を抜け、南丹市を東に戻るように迂回してこの京北区に辿り着くのだ。まるでヤマタノオロチのようなうねりを見せて悠久の流れをつくっている。

 滋賀県の境から水を集めて流れる桂川は京北地区の西に川里をつくり、南北に走る弓削川沿いの川里ともに豊かな盆地を形成している。桂川と弓削川が合流する地点が町の中心、出張所や商工会、道の駅となっている。桂川のほとりには、平安京遷都のおり、大内裏造営の木材がこの地から徴せられたことで和気清麻呂が奉じた山國神社がひっそりとたたずんでいる。裏手にまわれば桂川の浅瀬が夏場の小学生のかっこうの遊び場となる。

 また、弓削川の周山街道沿いの京北第三小学校には樹齢300年の杉が見下ろすように鎮座している。その里の両脇は緑豊かな森林がきれいに並んで生き生きとそそり立っている。まるで塗り絵のような色彩で、区画ごとに色が変化している。深い緑のところもあれば若く青々しいところもある。

京北鳥居町の山國神社
樹齢300年の一本杉(京北第三小学校校庭)

「先のとがっているのが杉で、少し丸くなっているのがヒノキです」
 里山デザインのスタッフ、太田みどりさんはそう教えてくれた。ここは古くから奈良の吉野杉とならんで呼称されている「北山杉」の産地なのだ。

 6の付く日に定期的に開催されている市では吉野や全国から木材業者が集まってくる。代々の林業者が日頃からきちんと手入れを行っているために良質な木材ができるため、人気なのだという。人手がなく手入れをしない森は荒んでしまうという。その林業振興のために京都市や森林組合、商工会などが中心となって「木こり技能大会」を開催しており、今年で3回目を迎える。

 従来、地元の木材屋同志はライバル関係にあり、一緒の活動をすることはなかったという。そんな木こりが一堂に会し木こり大会のチラシをつくった。些細なことだが、地元ではとんでもないくらいびっくりすることなのだ。町をあげて林業の復活に力を注いでいる。

 一般社団法人里山デザインの代表、國松繁樹さんは名の知れたデザイナーだ。企業広告が専門でグッドデザイン賞など数々の賞を受賞してきた。劇団四季のデザインも担当しており電車の吊り広告を目にした方も多いだろう。受賞時に携わった森や酪農の「本物の力」に感銘し東京を脱出した。知人の田んぼで田植えや稲刈りをして自然を見直しているうちにこの京北の地に辿り着いた。

 そして気が付いたら京北の仲間たちに囲まれていた。商工会や京都市も応援してくれている。地域には木工やガラス工芸の作家の工房が多数あり、当日も教諭に引率された地元の高校生が夏休みを利用して20年前に移住してきた老夫婦にガラス細工を学んでいる。ここには自然や昔ながらの生活がある。すべてがインバウンドの資源となるのだ。その埋もれた資源を発掘してブランディングをするのが國松さんの本領である。太田さんはじめ若いスタッフも全国のいろいろなところから自然に集まってきた。しかしながら方向はぶれていない。

 太田さんは「まず、林業の町として基盤を確立しなければなりません。木材の需要が減り、価格が低迷しているなか後継者不足は深刻になっています。木材本来の需要を取り戻すことが一番重要です。基本がなければ副産物の木屑や加工用木材などの活用がすべて無駄になってしまいます。」と冷静に分析している。

 そんな仲間たちと「KEIHOKU Style(京北スタイル)」という団体を立ち上げた。京都市や商工会、里山デザインの3者が集まって協議会をつくり国や企業に働きかけ、地元の宣伝や観光客の誘致に力を入れている。國松さんはそのトップに立ち、不思議なリーダーシップで若いスタッフや地域の人々をまとめあげているのだ。地方創生の新たな可能性を感じさせる視察となった。